鬼を払うために豆まきを行い、年齢の数だけ豆を食べる。
近年は恵方巻も全国区の知名度となりましたね。
地域でさまざまな違いはあれ、節分は現在の日本でも大きなイベントです。
そんな節分の由来はご存知でしょうか?
節分と豆まき 節分とは季節の分け目
暦の上で春夏秋冬の季節の始まりの日を、立春、立夏、立秋、立冬といいます。
この前日が、季節の分かれる日ということで、「節分」と呼ばれます。
春夏秋冬のうち、1年の始まりということもあって最も重要視されたのが立春。
そしてその前日でもある2月の節分が、現在も続く行事の由来です。
節分と豆まき なぜ鬼を払う?
季節の変わり目、つまり節分には、邪気が生じると考えられていました。
この邪気、つまり鬼を追い払う「追儺(ついな)」が中国から伝わる中で、節分の宮中行事として定着したそう。
続日本紀によると、追儺が始まったのが706年。
奈良時代より前から行われている、歴史ある行事なのですね。
当初は、土で作られた牛と童子の人形を宮中の各門に飾り、方位に由来する色で塗ったのだそうです。
節分と豆まき 豆まき
現在と同じように豆まきが行われた最も古い記録は、室町時代の1400年代。
文献によると、このときすでに、公家・武家ともに大豆をまく風習が根付いていたそうです。
なぜ豆まきかというと、室町時代の文献に、宇多天皇の御代(900年前後)に鞍馬山の僧が鬼の目を炒った豆でつぶし、災厄を逃れたという伝説が書かれています。
また、豆は「魔目(まめ)」と呼び、やはり鬼の目に投げて滅ぼす「魔滅」と通じることからも、退治するために豆まきをする風習に繋がったと言われています。
生命力が宿る穀物を投げ、鬼を滅し、一年の無病息災を祈る節分。
600年前にも現代と同じように大豆を投げていたと思うと、本当に歴史ある行事なのですね。
節分と豆まき さまざまな節分
大豆をまく他、地域や家庭によってさまざまな風習があるのも節分です。
代表的なのが、柊鰯(ひいらぎいわし)。
焼いたイワシの頭を柊の小枝に刺し、門に飾ります。
柊の葉のトゲが鬼の目を刺し、鰯の臭いで払うのだとか。
平安時代には、しめ縄に柊の枝とボラの頭を刺していた記録があるそう。
西日本を中心に、今でも節分鰯として鰯を食べる風習も残っています。
その時期には、鰯がスーパーに並びますね。
また豆はもちろん、地域によって麦飯や餅、粕汁、魚料理など、さまざまなものを食べる風習も。
昔から伝わっている行事だからこそ、地方に広がるにつれ、地域の独自性がでたのですね。
まとめ
お住まいの地域の寺社などを訪ねて、節分会などに参加してみてはいかがでしょうか。
豆まきだけではない地域独自の、新しい発見があるかもしれません。
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